誰にも真似できない鳴門金時の天日干し。やま里さんを訪ねて。
2009年4月 1日 (水)
やま里
徳島市国府町延命字野神337-1
代表者/福田喜信さん 勝間節子さん(左写真)
四国八十八か所五箇所寺に程近い、田畑に囲まれたのどかな場所に構えているやま里さんの事務
所兼作業場へ寄せて頂いた。
この日は生憎のくもり空。
残念ながら青天の下・・・とはいかなかったが、ハウスの中に所狭しと並べられているたくさんの干しいもの光景は圧巻だった。
ハウスに入るとき、ほんのりと鳴門金時の甘い香りが鼻先をくすぐった。
昔ながらの天日で干した、太陽の味のする干しいも。
一見普通の干しいものように見えるが、この干しいもには数えきれない苦労や想いが隠されていたのだ。
■■鳴門金時で作るこだわり■■
そもそも、干しいもは「タマユタカ」など澱粉が多く含まれている白っぽい品種のさつまいもで作る方が良いとされている。
鳴門金時は焼きいもやふかしいもには最適だが、干しいもには不向きなのだ。
鳴門金時で干しいもを作ると白い粉がふきやすく、粘りがない。 あく抜きをしたら一緒に糖分までが
落ちてしまうので、カチカチになる。
そこで、砂糖や塩を加えているのだ。
一般的に流通している干しいものようなねっとり感はなく、少し硬い。あっさりしているのだが、噛めば噛むほど甘味が増していく。
それが鳴門金時の干しいもの特徴だ。
鳴門金時を使った天日干しの干しいもは現在、やま里さんが中心に作っており、他の業者さんは機械を使って一気に乾燥させていると聞く。
鳴門金時の天日干しはそれだけ難しいのだ。
「やっぱり鳴門金時は干しいもに合わんのかなぁ」と笑いながら福田さんが話してくださったのが印象に残る。
なぜ、干しいもに向いていないとされる鳴門金時にこだわるのか?
それは、徳島の特産物を使ってたくさんの人に発信したいという福田さんの
強い思いからなのだ。
徳島には鳴門金時という全国に誇れるさつまいもがあるのだから・・・・。
作る人があまりいないのなら、チャレンジしてみよう!
やま里さんの挑戦がはじまった。
■■干しいも誕生秘話■■
長い間務めた自動車学校を定年退職し、何か新しいことを始めようと色々試した末に辿り着いたのが干しいも作りだった。
大きな鍋もない。コンロもない。干しいもを作るノウハウも商品を売る場所もない。
とりあえずストーブの上に鍋をのせてさつまいもを湯がくことからはじめた。
そんなスタートだった。
鳴門金時の特徴もわからず、作ってもすぐに白い粉がふいてダメになてしまう。カットの厚さ、ゆで時間、砂糖の量・・・・何もかもが手探りの状態の中、何十回、何百回もの実験と失敗の繰り返しのなかで、今の形に作り上げていったのだ。
鳴門金時という人気商品がゆえに原料調達も難しかった。
はじめは農家を1軒ずつ訪ねて分けてもらった。しかし、一日で集まる量は限られている。まとまった量を調達するとなると、個人では限界があるのだ。
逆に大量に仕入れしすぎて、処理できず腐らせてしまうこともあった。
そんな問題をひとつひとつクリアして今の形ができあがったのだ。
現在、やま里さんが干しいもを作る上で一番頭を悩ませている問題は、
カビの対策だという。
湿度の高い5月から10月の間、1年の約半分はカビとの闘いになる。
天気が悪い日が続くだけで、いもが乾ききらずカビが発生するのだ。
まさに天気との闘いともいえる。
また、夏は日が暮れると外に干していたいもを冷蔵庫へ移動する。夏の夜は湿度が高いので移動を忘れると一晩でカビが生えることもしばしば。
『干しいも作り』というよりは『干しいもを手間をかけて育てていく』という感覚の方が強いと勝間さんは言う。
だからこそ、カビが生えると「なんでこんなことしよんかなぁ」とショックでやる気が出なくなることもある。それ程、カビから受けるダメージは大きいのだ。
■■干しいもに隠された思い■■
鳴門金時の干しいもが今の形に定着するまで、試行錯誤は5年続いたという。
いもの厚みから砂糖や塩の量、種類、包材に至るまでいろいろな実験を繰り返してきた。
他の干しいもではあまり見られない、真空パックのパッケ ージには、やま里さんの食の安全への
こだわりがある。
真空パックにすると、どうしても見た感じ硬いいもの印象を与えてしまうのだが、お客様に召し上がっていただくことを考えると、真空パック包装後に煮沸消毒をするのが一番安全だからとそのスタイルは崩さない。
また、添加物を一切使っていないので、干しいもが懐かしいという方をはじめ、硬いものを食べなくなったと言われる現代の子供たちの食育にも一役買えたらという思いも込められている。
帰り間際に福田さんが教えてくれた。
実は・・・・今、新しい商品を作ろうと実験中なんですよ。
どんな商品が生まれるだろう?とても楽しみだ。